蛙ブリキ隊について【一】
サイトの方で蛙ブリキ隊の絵を更新したので、彼らのことについてちょこっと書いてみようかなと。
二があるかわかんないけど、とりあえずその一で。
-頽廃音樂倶樂部-蛙ブリキ隊というのが彼らの正式名称なんですが、まあ、アングラちっくでレトロ感のあるヴィジュアル系バンドですね。
まず蛙ブリキ隊のことを語る上ではずせない、私のサブカルチャーとの出会いについて少しふれさせていただきます。
元々私自身、所謂【密室系】と言われる、白塗りヴィジュアル系の方々がめっちゃ好きでして。他にも理由はあるんですが、きっかけとしては自分でもこういう世界観のオリ盤が作りたいというところからでした。
…そしたらいつの間にかパンツ食ってる子になってしまったボーカル。どうしてこうなった。
私が好きなヴィジュアル系の方々の傾向として、なんとなくアングラ・サブカルに繋がっていく事が多かったんで、サブカル界隈では有名な【ガロ】という漫画雑誌に掲載されていた作家さんの漫画や作品等を見たりもしていたんですけど。
最初は白塗りバンドマンたちもガロ系も怖くて!(笑)まさにエログロ、無秩序で不条理で…社会の常識とはまるで正反対にいたので暫くトラウマになったりもしていました。なんでこんな残酷な事ができるんだとカルチャーショックを受けたりも。
でも、なんか惹きつけられるというか。こわいんだけど、忘れられないというか。本能的に感じるものがあったのだと思います。
そいで、ある時ふと、「もしかしてこの曲や作品はただバイオレンスなだけではないのでは?」ってことに気づきだして。
表面的に捉えると残酷描写だっていうところで終わってしまうのですが、この残酷さや惨さは、実は登場人物の深い悲しみや、不条理でどうにもならない現実に対しての皮肉のメッセージも込められているのかなって捉えるようになってから、その面白さに気づいて嵌りだしたんですね。
また、作品を作ってらっしゃる作者の方々の生い立ち(複雑な家庭環境だったり、周囲に馴染めなかったり等)なんかも知ると、更に深く探求するようになりました。
アングラというのは無秩序で、何でもありというか。
それ故、時として作者の人自身がインタビューなどで作品のことを問われたりすると、この作品に「特に意味はない」とか言うこともまま見るんですが、逆に意味がないと言われるとそれはそれで「無意味」という意味ができるんじゃね?とか考えるようになったり。
本来、受動的な立ち位置にいる読者・視聴者にも思考の余地が与えられて、無限の解釈が広がっていく感じが、益々癖になっていく蠱惑的な世界なんですよね。
視野が広がり、私の中だけでは浮かばなかった世界の裏側を見たようでした。駄目だと思っていたことが駄目じゃないのかもしれないと思えるようになったので、ふっと肩の荷が下りたような気持ちになりましたね。
そこから、自分の創作の幅も広がったのかなあと思います。
そんなところを踏まえて、最初に戻り、蛙ブリキ隊についてお話しを。
これは昔作ったやつなんですけど、蛙ブリキ隊を象徴するような文言だなあと。
蛙ブリキ隊のロゴって【蛙】って漢字を元にしているのですが、よく見ると蛙から尻尾が出てるんですよね。通常、成長した蛙は尻尾がありません。だけど蛙ブリキ隊にはある。
これは未発達で、未熟者。辺りのいう普通とは違う者達を指しています。
世間に馴染めず、色んな形で窮屈感や嫌気を感じていた経験がある。蛙ブリキ隊は、孤独な人の集まりなんです。
当時の私のリアル生活も影響してたんだと思いますが、「僕達は必死に、ここにいるんだぞ」ってことを形にしたかったんです。
結果、側から見たら変わり者の集まりになっちゃったんですけど、でも、だからこそいいんですよ。世間に認められなくとも、そこに居場所があれば。蛙ブリキ隊は変わり者だからこそ輝ける場所なんです。
「みんなに認められる必要はない。」
前述のサブカルの世界に触れた時も感じたことでしたが、受け入れられなくても構わなくて、自分のやりたいことをする。それを強く思わせてくれた人達です。